もう「エンジニアをエンパワーとか言わんでええんちゃうかな」と思い始めた件

まだ公開の場ではそのストーリーを使うと思うんだけど、気分的にはちょっと違うステータスになっているなと思ったのでメモ。

2つの方向で「違う」と思った。一つは「ソフトウェアエンジニアに傲慢な無能が増えてきた」という状況。もう一つは「ソフトウェアエンジニアという人種、みたいのに興味はなくて、別の属性の人に対してソフトウェアエンジニアリングという力を得てもらうことも含めて支援をしたい」という話。

1つ目は、まぁ人気が出てきちゃったからね、みたいのがある。正直、国内について言えば私が新卒採用された頃から状況は良くなかったわけだけど、今となってはもっとひどくなっているし、国内のその界隈の人々は一周回ってもっと態度が悪くなっている。これについては長く書かない。馬鹿らしいから。

2つ目の方が本質でポジティブかなと。結局、「口を開けて仕事待っている」感じの人にはそもそもそんなに魅力を感じないわけだ。どちらかといえば、率先して荒れ地に踏み込んで問題を解決しようとするメンタリティの人が好きであって、そういう人を支援したい、そういうときに、棍棒で戦うだけじゃないんだよ、という支援がしたいのではないかと。

G.M.ワインバーグをすごく好んでいた(今も好きだよ)時期の自分の思想に戻ってきている感じはある。「問題解決者」が好きなので、その「問題解決者」をエンパワーしたいのだ。

当時……つまり、「ソフトウェアエンジニアをエンパワーしたい」という気持ちを持って国内に戻ったとき、この「問題解決」の前線として自分が注力できる領域として筆頭にあったのが「ソフトウェアエンジニアリング」という領域とそれを専門にすることだった。

ただ、今となっては自分の中で「対象をそう絞る理由もないな」というのが実感としてある。(自慢かな、自慢になっちゃうかな!?)別にエンジニア風情でなくても、普通の人を育てられるような感じになってきた、ということなのだと解釈する。

まぁもちろん、育児の現場とか製造の現場とか医療の現場は、私が今持っている仕事の文脈においてはかなり遠いので、そこに飛び込んで大丈夫という感じはない。一方「ソフトウェアエンジニアリングを弄する問題解決者」が必要とされる領域ならば、別にそこに開発者がいる必要自体は感じなくなっている。むしろ、中途半端に現代の日本の慣行に慣れた怠惰な人種がまじりやすい感じがあって、「いっそ、いないほうが良い」と思うことすらある。

「正しい動機と意志を持っていて、でも棍棒で叩く方法しか与えられていない」善良な人というのは世の中にはきっと相当いて、ヘボい人によって苦労している。「ヘボい人」が「経営」を弄するのなら、多分私が手伝う(しょっぴく)べき領域は「経営」になるんじゃなかろか。なんか自然にそっちの話増えているし

※ところで、棍棒持ちにソフトウェアエンジニアリングの力を与えるっつーのを私は「全員ソフトウェアエンジニアになれば良いんですよ」と表現することもある。一方で「全員ソフトウェアエンジニアになる必要なんてないんですよ」という言葉も同時に口をついて出てくることがある。前者は、多分だが「現代風味の『DX人材』とやらを考える際にソフトウェア開発とその基礎部分が全く抜けていることはありえないし、そのあたりを多少やれば、現状のしょぼいエンジニアリング慣行に対しては十分ソフトウェアエンジニアと名乗ってしまえるのでは」という攻撃的な文脈が含まれる。後者(全員なる必要はない)は、例えばLinux上の操作やパーミッション設計というのはある意味議論で重要視するべき細部ではなくて、クラウドかIoTかでも話全然違うので、そこは上手く専門職の文脈に近い正系統の「ソフトウェアエンジニア」に任せればよいのだし、ソフトウェアエンジニアと名乗るならそっちになりなさいよ、ということを含んでいるんだと思う。「ITエンジニア」はこの文脈では前者風情であって、その名を名乗るべきじゃないんだ。