純粋な「良い」を接種できると期待するのはおこがましいことだ

www3.nhk.or.jp

まずは食品ではなく医薬品の文脈でいつも頭の片隅でひっかかるやつから。ジェネリック医薬品だと効かないから元の方よこせ」という人がいて、なるほどなと思った。「主成分が同じ」が「効果が同じ」とは限らないのよなと。「値段安くて効果同じ」みたいな子どもの川柳を、大々的に店の壁に張り出していた薬局が以前あったんだけど、発想がナイーブなぁ、と今でも思う。

医薬品になりえない健康食品について全部否定するつもりもないのだけど「利益が薄いものでも気休めに接種する」って発想は結構危ないように感じる。

極論を言えば製造している工場を自分で視察しているわけではないから、工程に取り違えがあってとんでもない物質が混入してしまったときに末端で気づく術はすごくすくない。「医薬品」でもトラブルは起きるが、チェックのゆるい健康食品(例えばビタミン剤)が海外の怪しい工場で作られていて、どこかで妙なカビが混入するだの水銀が入るだのして、それがきれいなパッケージに入って輸入された際に気づく有効な術はない。

「支払いに対して、ついてくるベネフィットが純粋単独になるべきである」期待、あるいは「支払いに大してベネフィットの組み合わせが開陳されている」期待、というのは消費者としては素朴に持ちがちではある。袋の空いていないこんそめ味ポテトチップスの中身がきのこの山だというのは「あり得ない」ことを素朴に私達は直感しているし、事実髪の毛入っていても謝罪してくれる。

でも、ほとんどのベネフィットとその組み合わせは「保証」されていない。消費者保護の観点は現代では非常に強いから「消費者庁が許していないはず」ということにあぐらをかいている。全員大小様々な立ち位置で(適切に)油断している。油断を多くできる社会はより多くのエネルギーを他のことに割ける。

ただそれは「限界まで油断してしまって良い」ということも意味せず、油断の度合いにおいては綱引きが発生する。

健康食品について言うならこの綱引きの面倒なところに問題がありがちだ。「医薬品」のような箔と縛りのセットを引き受けるか、さも「ちゃんとやりました」風に見せかけるダミーのような認証で押し通すか、各社多様であるし、しかも別にすべてを社長が一人でやっているわけではなく、トップランクの社員が工場で作っているわけでもなく、委託先の管理が本当にきっちりできているか怪しいことがある。

加えて「ちゃんとやっています」という気持ちで未知のトラブルがあるというケースはなくならない。普通の検品をしていました、健康食品の枠では大丈夫と考えてます。3相試験?もちろんコストばかりかかるのでやりません。実は大規模調査するとまずい副作用がありました。ごめんなさい。

あるニュースでの街角コメントで「出すからにはちゃんとやって欲しい」という消費者のコメントがあった。生産者を擁護する気持ちはまるでないのだが、同じ消費者という目線からしても「どこまで?」がないこの手のコメントに、私は警戒感を保つ。この手のコメントがまかり通る界隈は「どう達成するか」に対する感覚がなく、感覚がないなりの敬意も実はおそらくない。

「ぼんやり生きています」という人をそこそこ守るための座組を世の中は整えようとしてきた感覚がある。ただ、そういう人を常に厚く守りきれる社会ではない。まず生産者を激詰めする部分については生暖かく見守りつつも、それを受け入れる消費者という観点での自己防御の健全な多重化、凡庸な「良い」に付随する想定されない副作用に対する予備防御は息をするようにしたいし、その防御は衰退するような社会ならそれぞれ強くしていかなければならない。